こんにちは
DECO DANCE SCHOOLのtaraです
大切な物、大切な者、大切なそれを失った私
ヨガの先生ですが何か?と言いたくなる時もあります。
別れを悲しんだり、病気にかかることもあります。
私がお腹痛いとか風邪ひいたとか言ったりすると、「ヨガの先生でも風邪引くんだですか?」とか「ヨガやってるのに?」とか言われます。
私は、私たちは超人ではないので、普通に病気にもかかるし、思い悩んだりもします。
ただヨガを続けて得意になったのは、そういう病気でメンタルやボディにきそうな時の修復力が強くなった事や、病気や怪我との付き合い方が上手になったことです。
最近、愛チンチラのクイちゃんが天国に行きました。
なので、結論から言うと何をしていてもクイちゃんを思い出しては泣いています。
そして平常の心の状態に戻りたくて、自分をコントロールできるよう瞑想しています。
繰り返しやってくるクイちゃんとの思い出やかわいい仕草、平和で穏やかな時間と空間。
長く生きた人生の中で、暖かさや穏やかな優しさが自分から生まれ出るのを感じる、貴重な3年と5ヶ月でした。
旅先で、クイちゃんが亡くなったと聞いた時、一瞬自分がどこに居るのか分からなくなる感覚…これを「無」というのか「空」というのか、全く分からない状態でした。
私の娘と呼んで可愛がっていたので、同じ部屋で寝起きをし、毎日遊んで話をし、彼女に幸せでいてもらえるよう努力していました。
結局は死なせて失ってしまった
自分は今にしか存在していないし、存在できない。
そして、クイちゃんは過去になっていく。
私とクイちゃんはどんどん遠く離れていく。
一緒に歩んでいた人生の途中で、クイちゃんは立ち止まり、私は歩き続けるしかない。
わかってても、喪失感と無力感の思考ループ。
悲しい時やさみしい時は泣けばいいです。ですがそれはいつでもどこでもでははないです。
私たちは生きていかなければならないし、失うという経験は人生に一度きりではないです。
一人になると練習しています。
感情の波が大きいと感じたら、大きな波に抵抗することをやめて、波に身を任せ身を委ねる。
こちらが感情への抵抗をやめたら、大きな波も次第に穏やかになるでしょう。
そしてまた瞑想します。瞑想の練習をします
私は三つのグナからの解放を意味するチンムドラーの手で、足はパドマーサナを組み、しっかりと自分と向き合い繋がるために、身体側の準備をして整えます。
坐骨で支えて、尾骨から背骨を通り、鼻の付け根までスッと引き上げて伸ばすと、狭苦しく窮屈で忙しかった身体は伸びて空間ができます。
空間ができると呼吸と共に、思考はなんの停滞もなくスッキリしたキレの良い呼吸として、鼻の奥から新鮮な空気を全身に巡らせ、呼吸が心と身体を浄化してくれます。
今日の私は考えすぎ、悲しみすぎで気づいたら40分間も瞑想の為に座っていました。
心地良い流れを感じることができたのは、その中のほんのわずか5分間くらい。
たったの5分でも、私の心のダメージはかなり修復されるのでした。
私の魂と、私の思考を含むそれ以外との解放はたったの5分間でも、私を楽にしてくれます。
思考からの解放は、自分が何者でもなく強くも弱くもなく、しがらみや責任からも解放されるという時間です。
過去も今も未来もない、今はその時間だけが私を自由にしてくれます。
ちょっと悲しくややこしい文章ですが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。
私達や皆様が穏やかでいられますように…
開けない夜明けはない
Om Shanti Shanti Shantih